四柱推命旺

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市川猿之助さん先天運解読~死令であっても身強となる例

本日は最近親子心中が騒動になっている市川猿之助さん(本名:喜熨斗孝彦)の先天運を解読したいと思います。解読とはいえ時柱不明ですので三柱からの推測となることをご承知おきください。

市川猿之助さんの先天運と日干強弱

早速命造を見てみましょう。誕生日は1975年11月26日(ウィキペディア)とあります。

天干
地支

猿之助さんの日干は丙火です。月支は亥月・水旺の生まれですので死令ですが即座に身弱とは判断できません。なぜなら天干には丁火、乙木が相生となって日干を生助。そして地支には亥・卯の木局半合があるためです。

まずは、三柱における五行の力量を見てみましょう。以下は原局そのままの数値です。

約13.3
約2.0
約0.7
0
約16.7

となっており、半合を見ない場合は身弱となります。しかし木局半合を考慮して計算をすると、

約20
約2.0
0
0
約10.0

と印の木が最強となり、日干が強いことが分かります。さらに、五行の相生関係を考慮して力量を計算し直すと、およそ水は8.0(木を相生するため)、木は22程になると考えており(水に生じられるため)、日干の力量はこの時点でかなり強いものとなります。

したがって、一応三柱での判断は日干身強ですが、死令のため夜中の生まれとなる場合は身弱となる可能性もありますので(とはいえ、他の時間帯では概ね身強であるため、身弱となる可能性は低い)、事象との照合を行っていきたいと思います。

市川猿之助さんのの大運の推移

それでは猿之助さんの大運を見ていきましょう。日干が強い場合、喜神は土・金、忌神は木・火。日干が弱い場合は概ねこの逆となります。

猿之助さんは男性・陰年干ですので大運逆行です。

【丙戌】1982年~1992年

第一運は【丙戌】です。逆行ですので前半土旺、後半金旺となり、身強であればどちらも喜神運となります。天干は丙火ですが、死令の生まれですし、地支が戌ですので害にはなりません。むしろ陽火は調候の働きがありますので喜となります。以下、ウィキペディアにおける経歴を示します。

1980年(昭和55年) - 7月、歌舞伎座『義経千本櫻』の安徳帝で初お目見得。
1983年(昭和58年) - 7月、歌舞伎座『御目見得太功記』の禿たよりで、二代目市川亀治郎を襲名して初舞台。
1985年(昭和60年) - 10月、歌舞伎座夜の部『雙生隅田川』で伯父三代目猿之助、七代目尾上菊五郎の3人で宙乗りを勤め、当時の最年少宙乗り記録を樹立。
1987年(昭和62年) - 9月、南座スペシャル「猿之助のすべて」Dプロ『連獅子』で狂言師左近後に仔獅子の精を勤める。親獅子の精は父・段四郎。
1989年(平成元年) - 7月、歌舞伎座昼の部『独楽』を弱冠13歳で勤める。

運気安定している様子が見て取れます。このため、戌は喜神である可能性あり。なお水が強い命造の場合、戌は閑神となる可能性もあるため、これだけではまだ断定はできません。

【乙酉】1992年~2002年

第二運は【乙酉】で金旺運です。身弱の場合は明らかに忌神となる干支ですがどうでしょうか。なお酉金は地支の卯と冲し木局半合を解くため、身強であっても身弱となる可能性のある大運です。

1998年(平成10年) - 3月、慶應義塾大学文学部国文学専攻を卒業。7月、歌舞伎座『義経千本櫻』のお里で名題昇進。
2002年(平成14年) - 8月、京都造形芸術大学春秋座「第一回亀治郎の会」を開催。

掲載されていたこの期間の事象は上記のみでした。酉はおそらく、身弱であれば忌神、身強であっても平運程度の運気になると思われます。

【甲申】2002年~2012年

第三運も金旺運です。申は木局半合を解きませんが、地支の子と水局を形成する可能性があります。水局半合をすれば水が強まることになりますが、身強の場合水は閑神、身弱の場合は忌神となります。また半合は年運によって解ける場合もありますので、大運で一概に喜忌を論じることは難しい干支です。しかし身強の場合は、申が固有根となる場合(年運)は財の働きが強まるため喜となります。

2002年(平成14年) - 8月、京都造形芸術大学春秋座「第一回亀治郎の会」を開催。
2003年(平成15年) - 7月公演を最後に、父・段四郎とともに猿之助一座を離脱。
2005年(平成17年) - 重要無形文化財(総合認定)に認定され、伝統歌舞伎保存会会員となる。
2006年(平成18年) - 3月、三谷幸喜初演出の歌舞伎『決闘! 高田馬場』に出演。翌年、蜷川幸雄演出の歌舞伎『NINAGAWA十二夜』に出演。
2007年(平成19年) - 大河ドラマ『風林火山』では、武田信玄(晴信)役でテレビドラマ初出演。撮影時の様子を「(『風林火山』に出演するまで)テレビドラマに縁がないと思っていたけど、現場がよかった。千葉真一さんは僕に付きっきりで、映像のことを教えてくれた。従兄の香川照之は大河ドラマのスタッフさんを知ってるから、1日付いてくれて各部署に頭を下げてくれた」と振り返っている。
2009年(平成21年) - 8月、Team申の舞台『狭き門より入れ』で現代劇に初出演。
2012年(平成24年) - 6月、新橋演舞場・初代市川猿翁・三代市川段四郎50回忌追善興行において四代目市川猿之助を襲名。渋谷ヒカリエ公式オープニングイベントとして「亀治郎大博覧会」を開催(4月28日 - 5月9日)。

精力的に活動している様子が見て取れます。申金は水を強めるため、身弱の場合は強い忌神運となることから、身強である可能性が高いことがこの運からも分かります。

【癸未】2012年~2022年

未は土旺・火旺です。後半は火旺ですが、未は本気・土ですので食傷としての働きもあり、概して身強の場合は喜神的となります(身弱の場合は閑神)。

なお未は、原局の卯・亥と三合を形成する可能性がありますが、これまでの事象から三合しない可能性が高いと見ています(これにより、未土は喜神となる)。三合しない時支とは、午・未・丑のいずれかとなります。

2012年(平成24年) - 6月、新橋演舞場・初代市川猿翁・三代市川段四郎50回忌追善興行において四代目市川猿之助を襲名。渋谷ヒカリエ公式オープニングイベントとして「亀治郎大博覧会」を開催(4月28日 - 5月9日)。
2013年(平成25年) - 5月、京都芸術劇場「春秋座」芸術監督に就任。7月、松竹大歌舞伎東コース巡業の襲名披露44公演で96%の動員率および、延べ60000人の観客動員数の記録を樹立。
2014年(平成26年) - 3月、スーパー歌舞伎セカンド『空ヲ刻ム者』を制作、上演。
2015年(平成27年) - 10月、スーパー歌舞伎セカンド『ワンピース』を制作、上演。
2017年(平成29年) - 5月16日、大阪松竹座「五月花形歌舞伎」昼の部『金幣猿島郡』で1000回目の宙乗りを達成。
2020年(令和2年) - 7月、TBSのドラマ『半沢直樹』に出演。
2021年(令和3年) - 7月30日、新型コロナウイルスへの感染を公表。8月3日初日の「八月花形歌舞伎」は、同月20日に舞台復帰するまで坂東巳之助が代役を務めた。

大運の開始から四代目市川猿之助を襲名し、ここでも精力的に活動。食傷(土)が喜神の場合は才能の発現や開花をあらわすため、食傷が喜神であることが明瞭です。また食傷が喜神であるため当然財も喜神であり、金の流年運(2016-2019年)には財運も旺盛となります。したがって日干身強の可能性大です。

【壬午】2022年~2023年

問題の大運ですが、ここで身強であれば忌神となる午火が巡ってきました。午では何か起こるのか?というと、やはり可能性が高いのは子・午の冲去ですが、ここでも流年干支による問題が出てきますので、2022年から少し細かく見ていきましょう。

2022年の干支は【壬寅】ですが、寅が巡ることによって、もし子・午の冲が起こっていたとしてもこれを解くことになります。したがった2022年の大運地支・流年地支は固有根と考えることができます。

固有根と考えると、当然亥・卯に加えて寅が巡るため木強、そして木は子水に生じられて大過します。さらに、強まった木が午火を生じることで木・火が大過していたことになります。

すなわち猿之助さんがもし身強の場合、2022年から忌神が大過しはじめ、苦難や悩みが現出していたことになります。

そして問題が起こった2023年の干支は【癸卯】でした。卯は木局半合を形勢するため、原局地支の亥・卯に加担して三合を形勢していた可能性があります。さらに、大運の天干は壬水、流年の天干も癸水と重なり、木を相生。その上で木が大運の午火を発火させ、火の大過に至ったものと私は見ています。

事実は分かりませんが、少なくとも大運・午火、そして年運・卯木の運気に忌象が出ているため、これらが忌神である可能性が高いことは言うまでもありません

そのため、猿之助さんの生まれは昼頃である可能性(午か未)がとても高いのです。

最後に以上から推測した、猿之助さんの解命結果を載せておきます。

  • 日干:丙火
  • 日干強弱:身強(小強程度)
  • 格局:偏印格
  • 用神:庚金(こうきん)
  • 喜神:金・土・水(閑神)
  • 忌神:木・火
  • 調候:丙火